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幾何学の基礎にある仮説について
1867年
ゲオルグ?フリードリヒ?ベルンハルト?リーマン(1826-1866)
 リーマンは、新教の牧師の息子で父親の跡をついで牧師になるべくまじめに神学を勉強していましたが、自分は牧師には向かないと考え、何とか父親を説得して、ゲッチンゲン大学へ入学して数学を専攻し、急速にその才能をあらわしました。彼の学位論文はめったに学生を褒める事のなかった当時、同大学で教授だったガウスの非常な賞賛を受けたのです。学位取得後、彼は同大学の私講師となりましたが、その講義もガウスによって高い評価が与えられています。1859年にリーマンは、ゲッチンゲン大学教授となりましたが、この頃、結核に感染し、徐々に病状が悪化して、1866年、療養の為に休暇をとってイタリアへ出掛け、そこで客死したのです。けれども、この40年に満たなかった短い生涯中に、リーマンは新しい数学の世界を開いたのでした。
 私講師時代の1854年に彼は「幾何学の基礎にある仮説について」という題の、再びガウスをして感服させた講義を行いました。そうして、その後、この講義に於いて発表されたアイデアを発展させ、完成させて、この同題名の論文を書き、出版したのです。これが本書ですが、この論文に於いて彼はボーヤイやロバチェフスキーと同様に、ユークリッド幾何学の公理に挑戦し、例えば、平行線の公理に於いて、ユークリッドとは全く反対の「総ての平行線を交わる」、「与えられた点を通る与えられた直線に平行な直線は無限にある」という公理から出発する幾何学の体系を構築して見せたのです。これは球面上の幾何学として考えれば、直ちにその正しさが了解出来るので、球面上の夫々の点に於いて平行な直線、すなわち、球の周円は必ず交わりますし、球の上の任意の一点を通って無限に周円、つまり球上に於ける平行線が無限に引けるのです。この様な公理から出発して、リーマンは、ユークリッド幾何学とは別の、しかし、同じ様に論理的には矛盾のない新しい幾何学の体系(現在非ユークリッド幾何学と呼ばれるもののひとつ)を創造したのです。
 ボーヤイやロバチュフスキーも同様に、リーマン幾何学とは別の非ユークリッド幾何学を創り上げましたが、リーマンは、この論文の中で更に進んで、どの様にして、曲率とか距離とか言う概念を定義できるかについて論じ、その定義如何によって、多様な幾何学が考えられ得る可能性を示し、ロバチェフスキー幾何やリーマン幾何を含む幾何学全体の新しい世界を開拓したのでした。後にガウスは空間歪曲率という概念を考え、現在では、空間歪曲率ゼロのものが、ユークリッド幾何、プラスの値のとるものがリーマン幾何、マイナスの値をとるものがロバチェフスキー幾何と定義されており、幾何学全体が統一されています。この事によって実在の空間と一致する真の幾何学と考えられていたユークリッド幾何も、ひとつの論理的体系にすぎない事が判明したのでした。半世紀の後、アインシュタインは、ミンコウスキーの4次元時空連続体の概念にこのリーマン幾何を適用することによって彼の相対性理論による宇宙モデルを確立する事が出来たのです。