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ユークリッド「幾何学原論」
1482年
エウクレイデス[ユークリッド] (c330-235 B. C.)
 アレクサンダー大王の死後30年間にわたって、その将軍たちは戦争をしてお互いに争っていましたが、そのうちの1人プトレマイオスが勝利をおさめ、エジプトのアレクサンドリアの町を首都にして王朝(プトレマイオス王朝.最後の王がかのクレオパトラ)を開いたのです。プトレマイオス一世はアレクサンドリアを世界の学問の中心地にしようとして、有名な学者を集め、科学研究を援助して、遂にアレクサンドリアをギリシアのアテネ以上の学問の中心地にする事に成功しました。この為の大きな力となったのがユークリッドでした。彼はプトレマイオス一世の創った大図書館兼研究所「ムセイオン」の数学部門の長をつとめ、彼以前に知られていたギリシア幾何学の全成果をこの本にまとめたのでした。まとめたと言っても単によせあつめたのではなく、幾つかの簡潔な公理(例えば「平行線は交わらない」)を立て、そこから 500余りの定理を導き出し、幾何学全体をひとつの首尾一貫した論理的体系に組み上げたのです。その後、アポロニウスやアルキメデスが新しい成果をつけ加えはしましたが、ユークリッドの体系は完全だったので、この書物は中世?近世を通じて教科書として用いられ、現在もなお中学校や高等学校で教わる図形の問題は、このユークリッド幾何学です。それだから、この書物は世界で最も長く用いられている教科書と言えるでしょう。また、19世紀になって、ロバチェフスキー、ボーヤイ、リーマン等がいわゆる非ユークリッド幾何学の体系を創り上げるまでは、ユークリッド幾何学は唯一の真なる幾何学とされていたのです。